それは本当に解くべき課題なのか?
答えはノーである。
よく考えるとこのようなケースが多くある。
この質問は、そしてこの質問による考え方は課題の根本を見つけてくれるだけでなく、知的生産性が向上するメリットさえある。
この考え方によるマネジメントをすると、部下はやるべきことが明確になる。チーム全体のやるべきことがとても明確になるので、この質問の質は高くなる傾向がある。経験上。
「課題は見つけるのではなく、減らす」これが逆説的で効果があると思っている。
今やるべきことが山ほどある中で同時に進行させるのはとても効率が悪い。
そしてそれが会議ともなると、大変だ。
みんなは自分が言いたいことが言えればそのあとの結果はどうでもいいからだ。中には興味すら示さない社員もいる。
とにかく重要な会議や時間の時、優秀な人間ほど、発言しやすいが、実は自己満足だということに気づいていない。
問題は「解決」であり、「発言」ではないのです。
この考え方や問いを「イシュー」と呼びます。
単なる質問も仮説から抽象的な表現をできるだけ排除し、強引にでもある仮説を立てることが必要です。
例えば
人口の市場規模はどうか?
ではなく、
人口の市場規模は縮小傾向にあるのではないか?
と仮説を立ててみる。
すると調べなければならない明確な課題がわかる。
そして分析結果が明確になることで、無駄な作業が減るのである。
ちなみに、良い仮説というのは答えを出す必要があること、つまり本質的な選択肢であり、深い仮説があること。また答えを出すことができることである。ありふれた問題に見えても、それを解く方法がいまだにはっきりしない、手を付けないほうがよい問題が大量にある、ということを忘れてはならない。
多くの場合、イシューは大きな問いなので、いきなり答えを出すことは難しい。そのため、おおもとのイシューを「答えの出せるサイズ」まで分解していく。
例えば、「新規事業コンセプトの有望なアイデアを検討する」というプロジェクトの場合、「事業コンセプト」自体が非常に大きな概念なので、このまま仮説を出してイシューを磨こうとしてもあいまいな仮説しかたてられない。
「カナヅチをもっていればすべてのものがクギに見える」という状況になってしまっては本末転倒であり、意味がなくなってしまうんです。
我々はよく色眼鏡で物事をみがちですね。気を付けましょう。
では。
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