川崎宗則選手について思うこと

ムネリンこと川崎宗則選手がついにホークス復帰を果たしましたね。

川崎宗則内野手は現在35歳です。 日本のプロ野球選手の平均年齢が20代後半ですので一般的にはピークアウトしているといって良いと思います。

もっとも最近は40歳を過ぎても現役でバリバリ活躍する選手が多くなっているような気がしますが、それでも一部に過ぎません。

今回私なりに川崎選手について思う事がありましたので、社会人の観点から、というか、中流の私が言うのもあれなんですが、サラリーマンから見て思う事を記事に留めたいと思います。

ちなみに私も小学生の時、地元のリトルチームに入っていた事があり、色々な習い事の中に実は少年野球の経験もありました。

はっきりいってセンスゼロ男でしたが、幼馴染の友人からの誘いを受け、入団w?したんですねぇ。

その幼馴染の友人はのちに甲子園に出場し、ホームランを打ち、その年の甲子園に優勝→ドラフトでプロへと駆け上がりました。 凄いですね。

ということで川崎選手の話ですが、何故思うところがあるかというと、サラリーマン社会人の人生と少し似ている気がするんです。すごく共感するというか。気の使い方とかまさに組織と一緒です。

彼は実は甲子園に出場していないんですね。しかし1999年ドラフト会議にかかり、当時の福岡ダイエー・ホークスに入団します。そして二軍からのスタートを切るわけです。

若くしてその才能を開花させ、徐々に日本球界のトップと肩を並べるようになります。

数々のタイトルを取り、迎えたWBCでは見事優勝しまさした。

その数年後に渡米するわけですが、移籍を惜しむファンの声や、本当にアメリカでやっていけるのか、といった声が上がります。

努力の結果、日本では揺るぎない地位を勝ち取りました、安定を選ぶなら間違いなく渡米しないほうが得策でした。

内野手では特に難しいといわれてましたので。

しかし彼は決意し、ベースボール大国アメリカへ勝負に行きました。

別に大好きなイチロー選手が雇ってくれるわけではありませんし、なにより自身の手で結果をださなければなりません。

そういう意味ではチャレンジを決意することは簡単ではなかったように思います。

6年間の渡米チャレンジは、計3球団を渡り、メジャーとマイナーを行ったり来たり、成果は満足の行く結果と言えたでしょうか。

しかし、川崎選手は自分のブランドを確立したと言えます。

「ムネ」の愛称でファンから愛される姿をテレビやYouTubeで見るたびにまるで自分がそこにいるような感覚になっていました。こっちまで嬉しくなってしまいますね。

川崎選手のように愛される野球選手はなかなかいません、彼は野球の他にも孤児院や施設を訪れては子供達を元気づけてあげていました。

チャレンジする事の成果は何も優秀な成績を残すことだけではない事を彼は教えてくれました。

何事にも真剣に打ち込むその姿勢に、一人、二人と応援する人が増えていく。

川崎選手が愛される理由は数え切れません。

野球はあまり見ませんが、川崎宗則選手のプレーは見に行きたいと思っています。

野球選手の川崎ではなく、川崎選手の野球が見て見たいですね。

 

企業で働いている私にとっては、「個」より「看板(企業等)」にとてもお世話になっています。

「〇〇会社の何々です。」みたいに。

サラリーマンの挨拶は大抵頭に企業の名前をつけます。

これがある意味、サラリーマンの我々に箔をつけてくれます。

我々がすごいのではなく、会社の信頼があるから成り立つのです。長期的に相互関係はとても大事です。

人は相手のバックについている看板や信頼、役割に頭を下げます。

私が休日スタイルのジャージ上下だったら誰も振り向いてくれないでしょう。

川崎選手のような個のブランドを確立するのは大変だと思います。

しかし、最終的な人の繋がりは会社や組織ではなく、あくまで人と人です。

ただ、待っているだけでは何も変わりません。

環境は周りが整えるのではなく、自ら変えるもの。

自分を貫き、周囲を変える。と川崎選手は言っていました。

一生付き合える仲間やクライアントに1人でも多く巡り会えるよう精進していきます。

サラリーマンこそ受け身では良い仕事はできませんね。私も頑張ります。

では。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

hishi

小児喘息には水泳が良いとの理由で幼初期から水泳を始め、大学まで本格的に水泳に打ち込む。高校で全国大会優勝経験をし、世界ランクイン。大学でもほどよく活躍したところで引退。一転、育った環境からまったく畑違いな金融機関に入社。30代サラリーマンです。